園だよりから

7,8月のたより(2021年7月26日)

 

 なかなか明けない梅雨空を見上げ、やきもきしましたが、当日は山の通り雨がぱらつく程度、2日目は朝から「梅雨が明けた!」と感じられるほどの快晴のもと、さくら組の子どもたちと山城町森林公園でのキャンプを楽しんできました。
 スイング号を途中で降りて、虫を探しながら森の中の道を進み、サイトに着くころにはすっかりキャンプの気分です。 
 お弁当を食べたあとは、カレーに入れる人参じゃがいも、玉ねぎの皮むき、そして生地からつくったピザのトッピング。
 その後は川遊び、おやつに自分で焼いたマシュマロ、夕食はカレーとピザ(ピザ焼きは大変でしたが…うまくいきました)と盛りだくさんでした。そしてキャンプファイヤーや朝の礼拝、朝の散策など、恵まれた環境と雰囲気の中でのキャンプを楽しむことができました。
 中でも、私にとって特に印象が深かったのがファイヤーや朝の礼拝のお話を聞く子どもたちの姿です。相づちを打ったり、いいタイミングで合いの手をいれてくれたりと、話すこちらの方が嬉しくなってしまうほどに、しっかりと聞いてくれたことで、みんなそれぞれに、話を聴く力をもっているんやなあと、強く感じました。
 家を離れ、自然を感じながら仲間たちと寝食を共にした2日間、大切な「記憶」として、子どもたちの心に留まっていくことでしょう。

 今夏、戦後76年を迎えます。未だに〝戦後〟と語らなければならないほどに、国の姿勢を含め、かつての侵略と戦争の過ちを踏まえない言説が飛び交っています。あらためて、園主題の「共に生き共に育つー平和を見つめて」の思いを強めたいと思います。

6月のたより(2021年6月14日)

 

 この時季にしては気温の高い日が続いているせいか、木々の緑がひときわまぶしく感じられます。
 今年は、5月中旬には沖縄や九州南部がかなり早い梅雨入り、その後、東海地方も梅雨入りしたものの、先週から梅雨前線が南下しながら弱まり気温が上昇と、まるで梅雨明けのパターンのようで、まさか、このまま夏に突入…ということでもないでしょうが、気候変動が著しい昨今、大雨、土砂くずれ等の災害が起きないことを願うばかりです。
 
 5月から梅雨入りするまでの時期は、園にとって遠足のシーズン、スイング号に乗って、または歩いて出かけます。リュックを背負いながら、自然の中での木々のそよぎ、小鳥のさえずり、漂う香りなど、五感を通して感じられる気配との「出合い」は、大人だけではなく、子どもたちの「育ち」にとっても、とても大事なことです。それは、大人が感じる以上に子どもにとってとて刺激的で、ダイナミックなものであり、そんな「自然」とのかかわりが、それからの長い歩みの中ので貴重な〝原風景〟として心に刻まれていくからです。
 ただ、昨年以降、遠足という形を取りづらい状況となり、スイング号での遠足は難しくなりましたが、園の近くには木の生い茂る伏見グランド、宇治川や、少し足を延ばして泰長老公園、桃山御陵があって、日々の保育の中で自然と出合えるのはとてもうれしいことです。
 あせびっしょりとなった散歩帰りの子どもたちが、本園入り口横の小さな窓から「白いねこがおった!」「こんなんみつけたで!」と口々に報告してくれます。そんな子どもの「 みいつけた」に「すごいなあ」「よかったなあ」としっかり共感とできる保育でありたいと思います。       

 

5月のたより(2021年5月13日)

 

 子どもの福祉のあり方や基本的な考え方を記してあるのが児童福祉法です。保育園など児童福祉施設はこの法律に従って運営されており、子どもにかかわる最も大事な法律です。
 制定されたのは、日本国憲法が公布された翌年の1947年で、第1条に「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない」と記し、憲法の精神を踏まえつつ、子どもに対する社会的責任と公的な義務を明確に位置づけています。
 そして、児童福祉法を補完するものとして1951年5月5日に宣言された「児童憲章」は、「日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるため」、「すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される」など、12項目にわたる子どもの最低限の権利をはっきりさせています。
 この法律や憲章が、今の日本の児童福祉を支える大きな土台となっているといっても過言ではありません。それだけでなく、日本に住むあらゆる立場の人が尊重し活かされ、相互に支え合い、助け合うことができる社会の実現を目指すということが、憲法や児童福祉の根底に流れる思想であり、私たちの園主題にも通底する想いです。
 そのような観点で考えれば、最近昨今の事態に乗じたかような憲法〝改正〟論議の恐ろしさは、むしろ、このような基本的人権や児童福祉などの根本的な思想すら変えられてしまうことにあると感じています。
 薫風がそよぎ、新緑がまぶしい季節です。制約の中にあっても、その気持ちよさを子どもたちとともに感じあいたいと思います。

 

4月のたより(2021年4月12日)


ある大学の調査によると、京都で今年の桜が満開したとされる日は3月26日、これは平安時代以降最も早い満開だということです。もっとも昔の文献の正確性という面で微妙ではありますが、確かに今年は早い開花、満開でした。その後も寒暖を繰り返し、結構咲き残っているなと思っていましたが、ふと気づくと見事な葉桜となり、交代するかのように、本園近くのつつじが、鮮やかな白や赤花を咲かせ始めています。

 新年度に入りました。この時期、子どもたちは環境の変化へのとまどいや、保護者の方々と離れるさみしさなど、そんな心の動きをそれぞれの仕方でおもいっきり表現してくれます。ある意味では、保育園にとっていちばんにぎやかな時なのかもしれません。
 私の子どもが通園していた頃のこの時期、園から離れようとすると、後ろから大きな泣き声が追いかけてくることがしばしばで、私も泣く泣く園を後にしたことを覚えています。
 そんな「わかれ」を何回か繰り返しながら、そのうちに拍子抜けするぐらいにケロッと、「バイバイ」と走り出していくようになりました。ほっとした反面、どこか寂しい気持ちにもなりましたが、思い返すと、そんな子どもたちのそばに保育者がいつもいて、その不安な気持ちに気づき、より添い、受けとめてくれていたからこそ、子どもの心が育まれたことに、あらためて気づかされます。
 日々の保育の中で、今年度のテーマである子どもたち一人ひとりに寄り添いつつ、そのための私たちの〝共感する力〟を豊かに備えること…そんな思いをしっかりと心にとどめ、保育にあたりたいと思います。
 改めまして、この1年よろしくお願いします。

 

 

3月のたより(2021年3月10日)

 

 早いもので、もう3月です。少し暖かくなったかと思えば寒くなり、2日には京都で3年ぶりの春一番が吹き荒れたりと、少し落ち着かない天気が続いていますが、まだ遠慮がちに咲いているタンポポやその他の草花が春が確かに近づいていることを教えてくれます。
 さて、今年度の保育を始めるにあたり、年間テーマを『寄り添って』とし、以下のような思いをお伝えしました。
   「…保育は、子どもを一人ひとり違う主体として受けとめ、様々な仕方で応答し『会話』すること、そのための出合いや環境を整えていく営みでなければなりません。そして、そのためには私たち大人自身も他者の思いに気づき、受けとめるものでありたいと思います。…私たちは、保育の中で、子どもたちに心を寄せつつ、『いつも寄り添っている』ことを感じてもらるよう、さらに豊かにかかわっていきたいと思います」。

 今年度はいろいろな意味で大変な1年でしたが、制約された中でも、日常の保育、行事などにさまざまな工夫をこらし、子どもたち一人ひとりの思い、保護者の方々の思いを受け止められるよう努めてきたつもりです。
 ただ、そのことが「さらに豊かにかかわって」いくことに繋がったのでしょうか。保護者の方の思いに応えるものであったのでしょうか。そんな悔いを毎年、年度最後の園だよりで触れてはいますが、今年度はさらに厳しく迫られているように感じます。
 あと少しで卒園式、そして進級を迎えます。そんな思いをもちつつ、「おおきくなったよ!」と全身でぶつかってくる子どもたちにいつも励まされ、勇気づけられているような気がします。
 今年度、保護者の皆におかれましては多大なご理解、ご協力をいただき、本当にありがとうございました。              

 

 

1,2月のたより(2021年1月26日)

 1月20日から2月2日までは寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時季とされ、1年を24等分して季節を表す「二十四節気」の「大寒」と呼ばれています。今年は、しばらく続いた暖冬と違い、この暦どおりとなり、厳しい寒さが続き、降雪、積雪による被害も相次ぐなど深刻な状況も続いています。一刻も早い復旧を願うばかりです。

 

 猛威を振るう新型コロナウイルスとどう向き合うのか、園にとっても、とても大きな課題です。ご存じの通り、昨年は運動会やクリスマス、その他の様々な行事の中止や、参加の仕方の変更を重ねて、感染のリスクをできるだけ減らそうとしてきました。ただ、その効果があったのかどうかを計ることはできません。このウイルス感染が厄介なのはまさにその点で、いわば〝正しく恐れる〟事の難しさがつきまとうからです。そういった意味でもたらされるのは、例えば、緊急事態宣言が発出される前後で、空気感がガラッとかわる、昨日まで容認されていたことが、今日からは非難される対象になってしまうという、ある意味での同調圧力と、過度の自粛ともいうべきスパイラルに陥ってしまう怖さをもはらんでいる……と思いつつも、園内では当然、感染リスクを減じるための工夫はしっかりと続けていかなければなりませんが…。

 これまで折に触れてお伝えしてきましたが、ここで重ねてお願いします。感染されて一番つらくしんどい思いをしているのは、ご本人とご家族です。そのことを忘れずに、感染者が出ても、特定しようとしたり、非難するようなことはせずに、配慮と思いやり、そしてやさしさを忘れないでください。よろしくお願いします。       

12月のたより(2020年12月14日)

 

 先週あたりから寒くなってきています。北の方からは雪のたよりが届くようになり、本格的な冬が到来…といった感じですが、こんな言い方も久しぶりのような気がします。ここ数年は暖冬であまり冷え込まず、どちらかといえば寒い方がありがたい私にとっては、この寒さは少しワクワクさせてくれます。これで、京都南部の方も雪がちらついてくれればもっといいのですが。
 園では、保育室からクリスマスの歌が聞こえてきます。今年は本当に残念ながら、全員で一緒にクリスマスをお祝いすることが難しくなってしまいましたが、1,2歳児がさくら組のページェントの練習に参加させてもらったり、クラスごとのアドベント礼拝やクラスでの「ミニページェント」、保育室の装飾などを通して、クリスマスへの思いを共有できているかなと思います。

 

  今回の「新型コロナ」感染をめぐる出来事は、様々な課題を残し続けています。感染それ自体の怖さもさることながら、もたらされるのはそれだけではありません。今回の事態で社会の分断、断絶、排外的な意識が増幅され、いろいろな意味で社会的に厳しい立場におかれている人々を、仕事や生活等の面で、さらに苦しませる結果となっています。
 それは〝問題〟発言を連発し、それを擁護するような、またこの事態にあって「自助」を謳う政治家を抱く日本社会の、もともとの「病理」であって、「新型コロナ」のせいだけではありません。
 この時期、クリスマスそのものの主題でもある「共に生きる」、「平和を見つめる」ということの意味を、改めて深くかみしめたいと思います。

 

11月のたより(2020年11月11日) 

 

 木々の紅葉も追いつかないほどに、あっという間に秋が通り過ぎ、気がつくと冬が近づいていた…、今秋はそんな感覚にとらわれます。気候のせいだけでなく、この間の気ぜわしさも影響しているのでしょうか…。
 5日は収穫感謝の日、今年は、園で用意した野菜を子どもたちが触ったり、皮をむいたりしてクッキング、礼拝の後、秋晴れのいい天気のもとみんなで外でいただきました。
 収穫感謝祭は、旧約時代(イエスが誕生する前の時代)に神が穀物を収穫させてくださったことに感謝し、ささげ物をしたことに起源をもつ、キリスト教にとって大切な行事のひとつです。この行事について、聖書にこう記されています。
 
穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。~ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」
   社会的な事情で生活の困難を抱えている人々、同様の状態にある寄留の外国人など弱い立場に置かれた人たちに〝施し〟ではなく、得た食物を分かち合うことを、神が命じる形で定めています。
 さくら組、ゆり組の礼拝では、収穫感謝のそんな意味を、聖書に記されている物語とともに子どもたちに伝え「さまざまな立場、状況に置かれた人と共に生きる」ことの大事さを伝えました。少し難しかったかなと思いましたが、子どもたちなりに受け止めてくれたようです。
 政治の動きや、新型コロナウィルスなどの影響で社会全体が閉塞感に覆われているような気がします。だからこそ日々の保育の中で 「共に生きる」ことの意味を伝え続けていきたいと思います。

 

 

 

10月のたより(2020年10月9日) 

 

 趣味というほどのことでもないですが、休みの日などには、よく散歩に出かけます。大体8キロぐらいでしょうか、運動会の翌日も、桃山御陵経由で桃山南口に出て、宇治川沿いを隠元橋まで進んで渡り、向島の旧道をたどって帰宅する、というコースでした。向島では一面に広がる、頭を垂れた収獲間近の稲穂と、実が色づきかけている柿の木を見やりながら、昨今の気ぜわしさのせいで、あまり感じることができない今年の秋を 十分に感じさせてもらいました。そんな時、いつも思い出すのは、幼いころ住んでいた田舎の秋の風景で、懐かしさとともに、そこで育てられ今の自分があることを強く実感させてくれます。

 

好天が続く秋のさわやかな大気の中で、子どもたちは、近くの小さな公園や、伏見グランド、少し足をのばして柿ノ木浜公園、宇治川などに散歩に出かけていきます。季節の変わり目のこの時期、風が冷たかったり、どんぐりや銀杏が落ちていたり、真っ白で大きなキノコが生えていたりと、普段よりたくさんの発見や出会いがあるようで、帰園の玄関先でみんな口々に報告してくれます。
 子どもにとっては、出合う〝モノ〟〝コト〟はほぼ初めてに近いことだらけ、おそらくは大人が感じる風景とはまるで違う世界が、子どもたちの前に広がっていることでしょう。大人には分かりにくいことかもしれませんが、私たちもかつては子どもだったころを思い、そんなそれぞれの〝世界〟を大事にする保育を心がけつつ、子どもたちに共感のエールを送り続けていきたいと思います。

 

 

9月のたより(2020年9月16日) 

 

ようやく涼しさが感じられる季節になってきました。とはいえ、昼間の日差しはまだ厳しく、散歩帰りで玄関に入った時の子どもたちの第一声は〝あ~涼しい〟です。不安定な天気はまだ続き、重ねて何かと気ぜわしい状況も続きそうですが、そのあとに続く〝えんちょう!大きなバッタがおったで!〟の声に季節と、ほっこりした気分をいただいています。
 
 私が高校生のころ、ソフトテニス部に所属していました。福井県内の団体戦では、いつも上位に入るそこそこの強豪校でした。
 キャプテンとして迎えた最後の県大会では団体戦ではベスト4、その後の個人戦では決勝に進み、相手は0勝3敗の相手でした。加えて団体戦の敗因をつくった悔いという、気持ちの面での弱さを抱えたまま試合に臨みました。結果はストレート負け。試合中、応援に来ていた先輩が大声で「試合はまだ終わっとらんぞ!!」と怒鳴ったことを覚えています。
 他の競技でもそうですが、テニスも気持ちの弱さがそのまま結果に反映しやすい競技です。40数年前のことですが、今でも、ふとした時にその悔いが試合の場面とともに浮かび上がってきます。
 そんな私の小さな体験と並べること自体お叱りを受けそうですが…。今回全米女子オープンで優勝した選手は、その前の大会から自ら反差別への思いを選手なりの具体的な行動に映してきました。
 どんな場所でもどんな形でも反差別を訴えることができる力、パッシングもあったでしょうが、結果を出すとともに思いを貫いたこの選手から学ぶべきことが大いにあると感じています。

 

 

7,8月のたより(2020年7月17日)

 

 7月に入ってからの豪雨で、九州や岐阜、長野など、各地で大きな被害が出ています。その中で、多くの人が被害に遭われ、尊い命が奪われたことに、心よりの祈りを捧げたいと思います。そして避難生活を余儀なくされている方々や、日々の生活にご苦労されている方々に対して、一刻も早い復興をと願うばかりです。

 さて、これまでの園だよりや通信などでお知らせしていますように、新型コロナウィルスの感染予防として、これまで重ねてきた様々な行事が変更、中止を余儀なくされています。その行事のねらいを活かせるように、設定を変えて別の形で実施できる行事もあれば、それもなかなか難しい場合もあって悩ましい限りです。もちろん、健康と安全のリスクをできるだけ避ける意味でも、今の時点では配慮に配慮を重ねることは重要です。
 ただ、日常の保育や行事を通じて、かかわる保育者や保護者の方々、地域の方々ともどもに育ちを共感しあうことは、子どもたちの育みにとってとても大切なことです。そんな観点からも考えて、何か工夫はできないかなと思っています。

 17,18日に、さくら組の子どもたちと山城森林公園にキャンプに行ってきます。天気は少し気になりますが、体いっぱいに自然を感じながら、子どもたちとゆっくり楽しんできます。 

 

6月のたより(2020年6月10日)

 

 今年の2月、「建国記念の日って何の日」集会に先立ち、職員の事前研修会を実施しました。内容は、少し趣向を変えて、中川五郎というシンガーが歌う、20分ほどの 「ピーター・ノーマンを知っているかい?』という歌を聴いてもらいました。
 この歌は、1968年におこなわれたメキシコオリンピックの200m走で1,3位となった2人のアメリカの黒人選手が、表彰台で厳しい人種差別に抗議するため星条旗に対して拳を突き上げ、同じく表彰台にいた2位の オーストラリアの白人選手であるピーターノーマンも、拳は挙げなかったものの、抗議の意思を示した―そんな出来事と、その後のいきさつを表現したものです。歌というより〝語り〟といったほうがいいような雰囲気で、聞くものの心に鋭く迫ります。

 ですが、残念ながらこの間の、アメリカで起こっている事態は、今においても、為政者の意識を含め、その50年前の人種差別の状況と変わっていないこと、むしろ狡猾に差別と分断が図られていることを示しています。
 先の歌は次のように締めくくられています。『「今の世界は自由で平等なのか/あなたの周りで差別が行われてはいないか/あなたの周りで人権が脅かされてはいないか/一つの国や民族が排斥されてはいないか/醜い醜いヘイトスピーチが聞こえてはこないか……/あなたの側にはたくさんのピーター・ノーマンがいる……』。
 差別や争いのない平和な社会を実現しようとする思い、環境の中で、子どもたちは生き生きと自分を表現し、自分にも他者にも優しく大事に思う、柔らか感性が育まれていくと強く感じています。

 

 

 

 

5月のたより(2020年5月14日)

 

五月のそよ風をゼリーにして持つて来て下さい。非常に美しくておいしく、口の中に入れると、すつととけてしまふ青い星のやうなものも食べたいのです五月の風をゼリーにして』。
  

この一文は、結核を患い、療養所生活を送っていたかつての詩人、立原道造のことばです。彼を見舞った友人が欲しいものを尋ねた時、最初「小さな缶詰」と答え、「もうひとつ欲しいものがあります」と続けて、冒頭のことばとなったそうです。当時としては死と隣り合わせの重い病にあって、繊細な感性に彩られた、とても美しいことばですが、同時に、彼の辛さ、悲しさもにじみ出ているようです。
 語られたのは1939年3月23日、それから6日後、立原は薫風を味わうことなく、24年の生涯を閉じました。もしかしたら、彼はそれが叶わないことに気づいていたからこそ、友人にそのことを伝えたかったのかもしれません。     

 まさにこの季節、園の周りでは鮮やかな新緑を背景に、5月の爽やかな風に吹かれながら、白やピンクのつつじの花が咲き始めています。伏見グランドは入りづらくなり、分園横の伏見公園は遊ぶ子どもたちが増えて、とても賑やかになるなど、外遊びやお散歩が少ししづらくなってはいますが、制約された環境の中にあっても、自然を感じ喜び合えるような豊かな感性を、子どもたちとともに育みあっていける保育を心がけたいと思います。

 

4月のたより(2020年4月9日)

 

 この季節らしい陽気のもと、散り始めた桜の木のあちこちに新緑が顔をのぞかせています。例年のうれしい風景ですが、今年は特にその緑がまぶしく感じられます。
 さて、今年の年間テーマは〝寄り添って〟としました。子どもたちの思いに応え、受けとめたいとの願いからですが、この言葉をイメージすると連想される、ある言葉があります。
 サン・テグジュペリの「星の王子様」に「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない)」という一節で、物語の冒頭に献辞として記された文章です。献辞の相手は、フランスに住んでいた親友のユダヤ人ジャーナリストで、彼はこの親友のことを「ひもじい思いや、寒い思いをしていて、どうしてもなぐさめなければならない人」と語っています。この本が発刊された1943年の、フランスに住むユダヤ人がどんな立場におかれていたのかは明らかでしょう。彼はこの本を記すことで、不合理な立場におかれた親友への共感と怒りを、そして子どもたちに暖かいエールを送りました。
 私たちが子どもだったころに感じ、思っていたこと、その時に映っていた大人たちの姿など、記憶の底にあるそのころの〝自分〟を想起しつつ、とりわけ、昨今の厳しい状況にさらされている今の子どもたちの思いに、しっかりと心を寄せたいと思います。                     

 

3月のたより(2020年3月10日)

 

  桃陵団地に入る坂道のかたわらに桃の木が植えられています。2月中旬ごろからつぼみが膨らみはじめ、日を追うごとに、文字通り桃色の顔をのぞかせ、今では鮮やかな花を咲かせています。朝、分園に向かう子どもたちと、その横を通るたびに「きれいやなあ」「春やね」と言葉をを交わしていて、季節の移り変わりを子どもなりに感じてくれているようです。
 さて、私たちは今年度のはじめ、2019年度の年間テーマを「みているよ」とし、次のようなことをお伝えしました。

「子どもは、そばにいてくれる大人の存在を強く受けとめ、これからの〝自分〟のイメージを形づくっていきます。そして、他者が自分にとってとても大事で、大切にすべき存在であることに気づき、併せて、自分をも大切にすることを学んでいきます。~中略~ だからこそ私たちは、いつも見ていてほしい、そばにいてほしいと、その小さな心の手をさしのべている子どもたちに、いつも〝みているよ〟と感じてもらえるような保育を心がけたいと思います。」
 私たちは果たして子どもたちの〝みてみて〟に〝みているよ〟と応えるものであったでしょうか。
この季節を迎えるたびにこんな悔いと反省を繰り返しつつ、この時期「おおきくなったよ!」と全身でぶつかってくる子どもたちにいつも励まされ、勇気づけられているような気がします。
「共に生き共に育ち」づらい社会的、政治的環境の中にあって、子どもたちとともに、そして、私たち大人が果たすべき役割をしっかりと見つめ直していきたいと考えています。

1,2月のたより(2020年1月23日)

 

 年末年始にかけて寒くなってきたなと思っていたのですが、その後はあまり冷え込むことはなく、穏やかな天気が続いています。京都や大阪などで最低気温が0℃未満となる「冬日」は観測されておらず、よって雪は降っていません。この先も気温が高い日が続くようで、もしかすると雪のない冬になるかもしれず、雪国育ちの私にとっては少し残念な冬になりそうです。ただ、この暖冬の傾向は、地球温暖化との関連があると考えられ、この課題に対しても敏感でありたいと思います。

  もっとも、だからといってCO2を排出しない原発を稼働させていいわけでは決してありません。温排水による生態系の破壊、放射能汚染など、東日本大震災や、先日の伊方原発の運転差し止めを命じる仮処分決定でも明らかになったように、とんでもないリスクを、次代を担う子どもたちに背負わせることになるという意味で、〝核〟発電所は決して認められません。 

 子どもたちは、柔らかな冬の日差しを浴びながらお散歩に出かけていきます。小さな窓越しに「いってきま~す」の声に振り向くと、ついこの間までは届かなかった窓から余裕で手を差し出しています。そしてしばらくすると、これまた窓越しに「ただいま」の楽しそうな声と、「こんなん拾ったで」「大きな猫がいたで!」との報告。みんな、生き生きとしていて、本当に大きくなったなと感じさせてくれます。
 そんな素敵な育ちを、この社会全体で大事に守っていくことができるように、大人の〝今〟の役割にも自覚的でありたいものです。